約2ヶ月ほど前の7月8日のガリラボ通信でジブリ最新作「風立ちぬ」について
書きました。(なんと、それ以前、5月24日にもすでにそれに触れていました)
エンジニアの持つ人工物に対する美意識に対して強く興味を持つ私としては、
この映画を見たいと思っていました。
しかし平日は夜までまた土日も予定が詰まり、なかなか行く時間がとれない、というと
すごく忙しそうですが、逆なんですね。
先に予定を入れておけば、そこに他の予定を入れることがないわけで、要するに優先
順位を上げるか、下げるかだけなのです。
「今日は忙しいから・・・」という理由で断ったりするとき、それはその人にとって一番優先
順位が高いことを表明している。
その人が何を一番大切にしているかという内面は、予定という形で外面化されていく
はずです。
ということで(?)、あることをきっかけに8月中旬、とにかく先に予定を入れました。
7月の時点で賛同してくれていた4年(10)吉村に声を掛け、予定調整してもらい、
決まったXデーが「8月30日」でした。
2011年、08ゼミ生がガリラボで活躍していたころ、色々なガリラボ内サークルの
アイデアが出ていました(ガリラボ通信2011/6/2)。
そこでジブリ部というのがあって(部長はもちろんM2(12)大塚です)、何度か活動を
していたようでした。
「風立ちぬ」鑑賞のため、ガリラボジブリ部が活動再開することなりました。
ただしこの日集まったメンバーはガリラボ以外のメンバーもおり全部で7名。
出かける直前、15分ぐらい前だったでしょうが、ガリラボにいた3年(11)上田、
2年(12)尾堂も生きたいということで一緒にでかけました。
無人券売機が珍しいとのことで、そこにたむろする参加メンバー
その後もたむろ。
人数が多くなるとどうしてもたむろする時間も長くなる(社会の摂理?)。
感覚的に「たむろ時間∝参加人数の1.5乗」ぐらいの方程式が成り立つのでは
ないかと思いました。
さらに観察していると、女性だけだと「たむろ時間∝参加人数の2乗」と増大する
のに違いないと感じました。笑
無事に最後から2番目の列に座りました。
大塚さん、4年(10)辛島、3年(11)上田、4年(10)吉村、飯田さん、2年(12)尾堂、私。
さて、映画の感想は・・・・・・
参加メンバーそれぞれがどうだったかは不明ですが、私には今一つでした。
帰り際、吉村と話しながら、私の期待値が高すぎたのではないかとのこと。
確かに、そうかもしれません。
だって、5月からこのガリラボ通信にも書いているぐらいですから。。。orz
ただ、映画から戻り、8月26日にNHK仕事の流儀で風立ちぬの制作を
とりあげた宮崎駿スペシャルを見て、評価がかなり変わりました。
2011年3月11日の東日本大震災。
この震災に強い影響を受けた人たちはたくさんいるのだと思いますが、宮崎さんも
その一人だったようで、「これから何を描けばいいんだろう」と考え、しかし分からず、
だけど「自分の中にもミシッと変化が起こった」と話され、そして2011年6月30日、震災
から3ヶ月後、風立ちぬの制作に向かう決意として、スタジオの全スタッフを前にこう
話されます。
もっと物質的にも時間的にも窮迫した中に生きなきゃいけなくなるだろうと
思うんです。
その時に自分たちは何を作るのか
少なくとも十分予想されるときに
前と同じようにファンタジーを作って
女の子がどうやって生きるかというようなことでは済まないだろうと思いました。
「風立ちぬ」というのはですね 実は
激しい時代の風が吹いてくる
吹きすさんでいる
その中で生きようとしなければならないという意味です。
それがこの時代の変化に対する
自分たちの答えでなければならないと思います。
この2日後、宮崎さんは被災地に赴かれ、そこは空襲を受けた焼け野原とそっくり
だと感じたそうです。
風立ちぬは、震災と強く結びついていたようです。
気づいていなかった。
悲しいかな、そういった知識無しに出向いたので、映画を観ていても、私には何も
伝わってこない。
勉強不足でした。
ただエンジョイするだけのものであれば準備は不要でしょうが(そういうのは、
ネタバレしてたら問題でしょうけど)、だけどこうした作品をしっかりと鑑賞し、
強い感動を味わうには、やはり事前に勉強していくべきでした。
フィールドワークでも事前学習無しに出かけたらチンプンカンプンでしょう。
仕事の流儀をじっくりと観て、あるいはネットで情報仕入れ、ネタバレした状態で、
しっかりと知識を入れてから、見に行くべきでした。
人が、物事がわかるというのは、実はわかっていることを「わかりなおす」ことで
あり、初めてのモノやコトはそれをみても人は何もわからないのです。
仕事の流儀では、いくつか映画のシーンが使われていました。
番組の最後は、途中登場した次のシーンが再度流れてエンディングに向かいました。
それは二郎の上司黒川さんの試作機の墜落事故を受けた直後のシーンです。
日本の技術が未熟であることを象徴するシーンでした。
このシーンで宮崎は、二郎にこう言わせるのです:
今日自分は深い感銘を受けました。
目の前に果てしない道が開けたような気がします。
映画を見ているときは、すーと通り過ぎてしまいましたが、改めて見ると(読むと)、
実にいいですね。
最近、ヴィゴツキーを読み、発達の最近接領域というものを多少なりとも知った
私としては、二郎の言葉の大事さを感じます。
未来に向けた強い意志を感じ、ひょっとすると震災に対する人間の技術的未熟さに
対し、これから立ち向かっていこうという決意が、二郎の言葉に込められていたの
かもしれません。
また、夢の中のシーンで、二郎が、
美しい飛行機を作りたい
というと、カプローニが
美しい「夢」だ
と応えるシーンがあります。
宮崎さんが6月30日にスタジオでスタッフに向かって
激しい時代の風が吹いてくる
吹きすさんでいる
その中で生きようとしなければならないという意味です。
と話されたことを上で書きましたが、二郎の夢とはそのことに
対する答えのひとつを表現しているのかもしれません。
井伏鱒二に「黒い雨」という作品があります。
広島の原爆を小説化したものです。
被ばくの恐怖と対峙するこの作品の最後は、きれいな水の流れる用水溝を
元気よくさかのぼっていくウナギの子の群れが次のように描かれています。
「こんな奇麗な流れが、ここにあったのか」
僕は気がついた。その流れのなかを鰻の子が行列をつくって、いそいそと
遡っている。無数の小さな鰻の子の群れである。見ていて実にめざましい。
・・・
「やあ、のぼるのぼる。水の匂いがするようだ」
後から後から引きつづき、数限りなくのぼっていた。
被爆した広島に、奇麗な水が(水の匂いが)復活し、そこで新しい命が
躍動している。井伏がウナギの子に未来への希望をダブらせていることは
明らかでしょう。
風立ちぬは、震災に強い影響を受けて作られたわけで、宮崎さんは当然、
震災そして原発事故とを意識して風立ちぬを描いていたのではないでしょうか。
井伏鱒二と同様の心境の中で。
希望である鰻の子と二郎の美しい飛行機が重なってしまいます。
そういったことを多少なりとも考えると、宮崎さんが自分の映画で初めて
涙が出たという発言も理解できます。
図らずも、知識のない人間が見ると何も見えないのだと言うハンソンの
事実の理論負荷性(※)のことを私自身昨日証明することになりました。
講義で話している私自身がこの体たらく。
情けない。。
(※)事実の理論負荷性
科学哲学の分野で出てくる概念で、人は、知識無しには何も見えないのだという理論です。
人は理論の眼鏡を使って外界を見ており、理論(知識)の貧弱な人は貧弱な景色しか見えません。
情報社会の講義の中で、データの洪水の中から情報をつかむには理論が必要であり、だから勉強しないといけないのだと。ただ経験していれば見えるようになるのはないのだと。
そんなことを、葉っぱビジネスの成功の事例なども使いながら講義では話しています。
仕事の流儀で、最後に宮崎さんがこう言われていました。
人が生きていくっていう
堪(たふ)る限りの力を尽くして生きなさいって
自分たちに与えられた
自分たちの範囲で、
自分たちの時代に
堪(たふ)る限り 力を尽くして生きるしかないんです。
ガリラボの辞書に追加したいと思います:「堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる」
<おまけ>
飯田さんが、親子とコメントしてこんな写真をツイートしていました。
似てます?
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