2013年5月3日金曜日

撮り続けた日常が優れた価値を生む

熊日の「わたしを語る」に本日から麦島さんという写真家が
登場されています。
宮本常一のようなこんなすごい方が熊本におられることを全く
全く知りませんでした。
麦島さんについて、あるサイトで、次のように紹介されていました。
  麦島氏の写真は、美しい風景でも特別な瞬間でもありません。
  山村漁村あるいは街に暮らす人々の日常ばかりです。
  しかし、「日常」という視点にこだわる同氏の写真には、 戦後
  半世紀あまりにわたる人々の暮らし・世相が克明に刻み込まれています。
ガリラボで、「日常」を切り取るということ、その大事さについてよく
私が話していますが、実践することはなかなか難しい。
私自身が全くできない。
ガリラボ通信で使っている写真がそれを物語っています。

麦島の「わたしを語る」のタイトルは「撮り続けた日常」です。
いいですね。
このタイトルに惹き付けられ、記事の存在に気づきました。


記事の中で麦島さんが、
  歴史的な一枚を撮ろうとか、「作品」を作ろうとか気負わずに、
  日記代わりに記録しておこうという気持ちで撮り続けてきました。
  定点観測と一緒です。
  その中から、記録性があったり文化的な価値があったりするものが
  生まれるのではないでしょうか。
と言われていますが、ほんとにその通りだと思います。
この言葉をしっかりと噛みしめておきたいと思います。

09ゼミでは、緒方がゼミの2年間の日常について定点観測を続けてきました。
デジタルカメラゆえに膨大な量です。
しかしその日常から、非常に優れた09ゼミ生にとって、さらにはガリラボに
とっても極めて文化的価値の高い卒業アルバムが生まれています。
(09の卒業アルバムについてはまた別の機会に紹介します)
日常を撮り続ける。
その瞬間は非常につまらない、退屈な行為ですが、しかしそれだからこそ、
後になって極めて高い価値を生み出すのです。

10ゼミ生は吉村が記録を撮り続けています。
日常を撮るということを緒方が直接指導してくれたように思います。
吉村も撮り始めてもう1年。
今はもう非常に優れた日常記録が撮れるようになっている。
(ガリラボ通信でも吉村の写真をよく使わせてもらっています)

現在、11ゼミ生が記録を取り始めました。
ところが、日常を撮ることの意味をまだ伝えていないことに気づきました。
ごく普通の写真記録を撮ること、緒方から引き継ぎ、次の世代への伝承は、
吉村に任せようと思います。


 

0 件のコメント:

コメントを投稿