2012年3月13日火曜日

片づけ現場での過去との遭遇(41回白亜祭)

一つの前のガリラボ通信で、清掃ボランティアがガリラボ内の紙ゴミの
分別作業をしてくれたこと書きました。
こうした大がかりな掃除(or片づけ)は遺跡発掘に似ています。

その現場では、過去と遭遇することが多い。
今回、実際そうでした。

この発掘作業では、なんと2005年にあった第41回白亜祭のパンフが
出てきたのです。
(ちなみに、このパンフには年号が探してもどこにも記載されていません。
後年になってみることを想定していないから当然でしょうが、2005年と
わかったのは後でのある驚きの発見からでした)。


この年のテーマはご覧の通りです。芸人さんには「バナナマン」が呼ばれて
いました。


この時の白亜祭実行委員会の写真も掲載されています。
これを見ていた3年(09)村中。
少な!」と絶句。



数えてみると、この時(2005年)の実行委員会は名簿を見ると全部で
32名ほどです。
これに対し、(今、村中に聞いたところ)昨年(2011年)の実行委員会は
なんと80名を越えていたとのこと。
大学が法人化して以降、白亜祭の実行委員会は急激にその組織を
肥大化させたわけです。
どうしてでしょう??? 謎です(実は私には何となく理由がわかっていますけれど)


組織の急激な膨張に驚いていたらもっと驚くべきことが・・・
この時の副実行委員長は、ガリラボ同窓会「興津会」会長でもある
OG(03)佐藤(現・宮川)でした。
ま、佐藤が副委員長であることは私も知っていました。



なんとなくその名簿を下へ、下へと見ていったら、、、、、、、、、


なんと!! なんと!!!



OG(05)田中の名前があるじゃありませんか!!
しかも、意気込みはただ「頑張ります。」です。
いや、驚きました。
白亜祭の実行委員だったんですね、田中は。
ゼミに入ってきたときは、まったくその気配も感じませんでした。



さらに見て・・・・・ 次のページに目をやると・・・・・・・・



さらにびっくり
なんと!、OB(05)坂本の名前があるじゃありませんか!




白亜の実行委員だったのか、と。

意気込みを読み、さらにびっくり仰天でした。

先日の結婚式(2012/2/4)では、ビデオレターの中で、彼を「よく覚えて
いない」と大変失礼な紹介をしてしまいましたが、この白亜のパンフの
意気込みの存在をビデオレター収録の時に知っていればですねぇ。

熱い学生だったようです(1年の時は)。

そうしたら、もっと紹介のしようもあったんでしょうが・・・。
申し訳ない(笑)。

以上、05ゼミ生が1年の時の白亜祭ということで、41回は2005年開催と
わかりました。

発掘したとき、年代を推定するという醍醐味はありますが、良かったら、

白亜祭実行委員会のみなさん、パンフには年号をどこかに入れておい
てください。


大規模な掃除は、こうして遺跡発掘現場と化し、なかなか仕事ができな
なってしまいます。
やはり随時、片づけはしておきべきだと思いました。



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