2012年10月19日金曜日

ほら吹きサークルキックオフ

3年(10)森本がプレゼンの上達を目指すサークルを作りたいということで、
それはいいことだから是非やりなさいと話し、めでたく今日そのキックオフ。

サークルの名称を「ほら吹きサークル」として、初代部長となる森本が
参加メンバーを前に、「プレゼントは」という趣旨のプレゼンを行いました。


なお、プレゼンのことはさておき、「ほら吹き」というネーミングに関し、
次の詩人の言葉を引用し、冒頭にて、上手なほら(=健全なほら)が
つけるよう賢くなる訓練をやっていきましょうと決意表明をしていました。


森本が準備していたプレゼンのコツを集めた資料です。
要領よくまとまっています。
この裏には、プレゼンの採点のための評価基準(=ルーブリック)が
準備してあります。
次回から参加者は与えられた時間でプレゼンし、ルーブリックに従い
他者評価を受け、さらに同じ基準で自己評価も行っていく予定だとの
こと。


プレゼンの上達には練習とその評価の繰り返ししかありません。
徹底した練習とその良し悪しの評価でプレゼンは上達の軌道を登って
いくでしょう。
森本は、今回のキックオフにおいて15分ほどプレゼンしたわけですが、
その練習におおよそ9時間ほど費やしたということでした。
途中で、プレゼンを見てほしいという彼の要望で、いくつかダメ出し(=評価)
しておき、それをもとに内容を洗練そして話し方も考えたとのこと。
パワポを作ってそれで終わりなどというのはプレゼンとしては問題外です。
さらにはこれまで見てきて、森本は、機械類はたぶん苦手だと思うのですが、
それを克服するために徹底的に練習していました。
それが9時間という時間の内容です。
何もせずにプレゼンが上手いということはあり得ません。

最後に、「プレゼンを好きに」という森本のメッセージを紹介して、本日の
キックオフの様子の紹介を終わろうと思います。


来週月曜日の5限目、参加メンバーには、何も見ないで、5分間でガリラボを
紹介しなさいという課題が出ています。
3年(10)五島、吉村、漆島、清原、2年(11)野口、藤本、藤村らが発表するはずです。
ほら吹きサークルの活動期間は当面これから1ヶ月間。
それでどれほど上達するか。
興味深いところです。
 
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「ほら吹き」という表現について
この表現はガリラボのスローガンにしている「健全なホラを吹こう」からとりました。
前に、東京のある企業の人事の方と話をしたとき、関東と九州の学生では何が
違いますか、と聞いたことがあります。
能力はまあそう変わらないのでしょうけど、表現力がまるで違います、とのことでした。
関東の学生は1を10ほどの表現できる学生が多いけれど、九州の学生はその
逆が多いと、そういう印象を持っているということでした。
ウソではなく、ホラとしたのは、1を10にいう表現力、増幅力を意味し、そうした能力を
ガリラボのゼミ生には学んでほしいという意味で、上のスローガンは設けたのです。
森本が立ち上げたサークルはこのスローガンを具体的に実践してくれるもので、
私としては非常に期待しています。
1か月後に目覚ましい成果を上げてほしい。期待しています。
 
「ホラ」にはもうひとつ別の思いも込めています。
昔、何か論文かエッセイで読んだ、京都大学の人文研のこと。
詳細は忘れたのですが(正確かどうかも定かではありませんが)、昔の人文研には
ほら吹きがたくさんいたというのです。
大ぼら吹き集団だったようです。
「それ本当!?」などと思わせるようなほらを平気で吹いて回る愉快な集団です。
この愉快な、場合によっては胡散臭い集団の大ぼらが、従来のパラダイムを壊し、
新しい創造的な分野を開拓していくことになったと、そういった話だったと記憶して
います。
かなり昔にこれを読み、この話が大好きで、それもあって、その思いを「健全なホラを
吹こう」とのスローガンには込めました。
単なる嘘ではなく、楽しいほらを吹きながら、これまでの枠組みを越えていくような
サークルへと成長していく事を期待しています。

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今日、2年生のゼミで学生(2年(11)上田、野口)から「ガリラボの特徴は?」との質問を
受けました。
相手がゼミ生でもあったので、談笑しながら色々とやりとりをしましたが、その過程で
ガリラボは「人を育てるゼミ」ではないことに気づきました。
私が何か教え、どこかに連れていくような、そんなことは殆どありません。
皆が、互いに、様々な形でリーダーになって周囲を引っ張っていってる。
特に教えることなど不要。
逆にそういうことだからこそ、活気に溢れているのではないかと思います。
2年生の質問に答えながら、その様子を頭に思い浮かべつつ思いました。
ガリラボは「育てる」のではなく、自律的に「人が育つゼミ」だ、と。
「育てる」と「育つ」ではかなり意味が異なります。
ガリラボは明らかに後者、「人が育つ場所」であるとそう感じます。
ただし、どうしてそうなっているのかは、実は私にもよく分かりません。
 

 

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