これは異世界に続いていそうなクレイジーな道(crazy road)を
集めたブログから拝借したものです(こちら)。
いくつかのクレイジーな道が紹介されていますので、一度見てください。
こういうのを見ていると、世界とはやはり広いものだと感じます。
この上の写真はサンフランシスコでしょうか?
路面電車にCaliforniaの文字が見えるので多分そうでしょう。
さて、この急坂の向こう側はどうなっているのでしょう?
気になります。
この坂を見ていて、ふと次の文章を思い出しました。
あの坂をのぼれば
あの坂をのぼれば、海が見える。
・・・
あの坂をのぼれば海が見える。
しかし、まだ海は見えなかった。はうようにしてのぼってきたこの坂の行く手も、
やはり今までと同じ、果てしない上り下りの繰り返しだったのである。
もう、やめよう。
急に、道ばたに座りこんで、少年はうめくようにそう思った。
こんなにつらい思いをして、坂をのぼったりおりたりして、いったいなんの得が
あるのか。この先、山をいくつこえたところで、本当に海へ出られるのかどうか、
わかったものじゃない……。
額ににじみ出る汗をそのままに、草の上に座って、通りぬける山風に
ふかれていると、なにもかも、どうでもよくなっている。
じわじわと、疲労が胸につきあげてきた。
これは、杉みき子さんの「小さな町の風景」という本に出てくる一節です。
「あの坂をのぼれば」は、小学校の教科書にも使われていたようですね。
本はガリラボにもおいてあります。
興味のある人はどうぞ。
疲労を感じてきた少年ですが、その時偶然、彼の耳に生きものの声が
聞こえます。
海鳥でした。
となると、海が近いことが予想できます。
海鳥は、希望の時代から暗黒の時代に陥っているときに微かに見えた
希望の光を表現するようなものです。
(ところで、希望とか暗黒などは卒論に関して私がゼミ生によく使って
いるメタファーです)
光が見えた瞬間、少年は自分の位置をはっきりと自覚し、先に進む
決断をします。
あの坂をのぼれば、海が見える。
少年はもう一度、力をこめてつぶやく。
しかし、そうでなくともよかった。
今はたとえ、このあと三つの坂、四つの坂をこえることになろうとも、
必ず海に行き着くことができる、行き着いてみせる。
どうでしょう。
現在、卒論でこの少年のようになっている4年生も多かろうと思います。
でも、何でもいいから頑張っていれば、海鳥のような進路を教えてくれる
光に出会う機会が生まれるものです。
立ち止まらずとにかく先に進んでほしい。
そうしたら海が見える。
大学時代って「海を見る自由」が与えられる人生で唯一の時間のはず。
海を見に行かなくてどうするんだと、と思います。
この「海を見る自由」という表現は、311で卒業式中止を余儀なくされた
立教新座高校の校長先生のメッセージにあったものでした。
大学での自由=海を見る自由とは、単なる自由ではなく、
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ
と、自由であることを自覚的にコントロールしてほしいという強いメッセージが
そこには込められていました。
残りわずかです。
残った「自由な時間」を精一杯に自由に、最後は倒れてしまうほどに活用して
ほしいと思います。
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