2013年11月6日水曜日

自由な発想は徹底した訓練から

ガリラボ通信でよく引用する中原さんがブログでピアノ先生のことを
書かれていました(こちら)。
このブログを読み、100%それに賛同でした。
一部引用します。
  練習では、何度も何度も教えたとおりに弾くことを要求しつつ、いざ、
  本番、演奏会で弾く段になると、それらをすべて忘れて、違うやりかたを
  為せという。最後には生徒にこう告げて、コンサートに送り出す。
    You have to play in different way that I taught you!
  本番の舞台は、いくら指導者といえども、もう傍らにいることはできません。
  演奏家ひとりが、表現者として舞台に立たなくてはならないのです。
  もちろん、最後に自由になる権利は、反復練習があってこそ、発揮できる
  ものです。
  換言するならば、「最後に自由になる権利」、そして、そこで得られる
  「伸びやかな表現のすばらしさ」は、先生の言うことに従い、何度も何度も
  注意深い反復練習をした果てにあるということなのかもしれません。
この通りだと思います。自由を獲得するためのスキル(道具)は、基礎的な訓練を
繰り返してしか獲得できない。
だけど、反復訓練は、退屈なことゆえ、そこに何らかの強制力がないと普通の人は
遂行することは難しい。
一流になると、自分で自分に強制力を課していけるみたいで(羨ましい)、何歳に
なっても新しいスキルを身につけ、その結果、様々な自由を享受されておられる
ものと思われます。

小林秀雄が 作文に関して、ある文章の中で同様のことを書いていました。
余談ですが、少し前、ガリラボで小林秀雄の名前を出したら、1mmもゼミ生にはかすらなかった
ようで、無視されました。
完璧にすべったわけですが、そんなことでがっくりしているようでは教師など務まりません。
院OB(09)吉本さんを手本に精進して行くつもりです。

作文の話題に戻します。
作文で、初学者に対し、自分の考えで自由に書いていいということなどありえないと
小林は言います。
画学生なども自由に書くことはなく、他者(先人)の絵(!)を模写から入るではないかと。
(ついでに言えば、ミュージシャンもそうですね。コピーが最初です)
信じられないでしょうが、あのピカソだって最初は徹底した写実派だったのだ
そうです。
そうした基礎訓練によって大事なスキルを身体化させた結果、自由に描く自由を
獲得できたわけです。
これと同様で、作文も最初はすぐれた文章を書き写していくことから始めるべきだと
小林は主張していました。
確かにそうですね。
私なども、あこがれを持った方の文章を忠実に真似しながら書いていました。
特に論文とかです。
完璧コピペで、盗作でないかと(文章は)思われるほど必死に真似た気がしてます。
その結果が、現在の文体に至っています。

基本の反復訓練ですが、大学生には昔に比べるとかなりやりにくくなりました。
すぐに飽きてしまう。
というよりも、別に選択肢がたくさんありすぎるのです。
(昔は選択肢がなく、それをやるしかなかったので凡人でも大丈夫だった!?)
なので、飽きたらそっちに行ける自由を持っている。
そういった環境にいるので、結果、基本的スキルを身につけないままに終わる
ことも多いのではないでしょうか(悲惨)。

自由に動き回れる力は、自由であることからは決して生まれません(これはたぶん
真理でしょう)。
それは不自由な中で培われた精神と身体から生み出される。
自由気ままなに過ごした精神や身体から自由な発想が出てくることなど絶対
にありえない。
(その意味で私は受験勉強賛成派です。あれは継続が難しい反復訓練をどうやればクリアできるか、
その訓練になっていると思うからです)
自由な発想とは、コツコツと反復練習し、苦労して体の奥底にまでスキルを身体化
させた結果与えられるご褒美(能力)でしょう、たぶん。

私事ですが、ガリラボ通信は、これで2,300回ほどになります。
4年半で2,300ですので、平均で1.4回ほど毎日書き続けたことになります。
私にとって文章についての反復練習となっているわけです。
ただ、書きっぱなしで振り返りをしないものですから、成長とはあまり縁がなく。。。
成長したことと言えば、誤字脱字を気にしなくなった度胸と、どうでもいいことを
長々と書いていく無節操さのチカラは伸びました。^^
 
現在、ガリラボでは、白亜祭に向けてたくさんのゼミ生が作業を行っています。
基礎訓練の場だと思って、頑張ってほしい。
特に他者と協調しながら企画をカタチにしていく訓練の場になっている。
文系の学部ではなかなか無い体験の場だと思います。
そうした場で、作業に没頭し、プレイフルにやっていきましょう。
そして最後は、体も頭も疲れ果て、口も開きたくなくなるぐらい灰になるまで
頑張ってみてごらん。
そうした先に、色々な表現を自在にやっていける自由が待っているでしょうから。
 
20時頃の天神地下街を撮ってみました。
ハロウィンからクリスマスへの衣替えはまだのようです。


熊本に戻る高速バスにて。
 
 
 
 

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